ここ10年の日本のヒップホップシーンの最重要プロデューサーが“Chaki Zulu(チャキズールー)”だと言って、異論をとなえる人は少ないでしょう。
2015年にAwichやkZmらを擁するヒップホップクルー“YENTOWN(イエンタウン)”での活動を開始して以来、数多くのラッパーの大ヒット作を手がけてきたChaki Zulu。
この記事では、そんなシーンの最重要プロデューサーChaki Zuluについて紹介していきます。
目次
Chaki Zuluとは
アーティスト名 | Chaki Zulu(チャキ・ズールー) |
本名 | 非公表 |
年齢 | 非公表 |
出身地 | 静岡県沼津市 |
所属クルー | YENTOWN |
Chaki ZUluは静岡県沼津市出身の音楽プロデューサーです。
年齢は非公表ですが、さまざまな情報から推察するに現在40代(前半〜中盤)であると思われます。
プロデューサーするアーティストはラッパーだけでなく多岐にわたり、LDH所属アーティストや“BE:FIRST”などのダンス&ボーカルグループから、“MIYAVI”や“ももいろクローバーZ”など幅広く手がけています。
名前の由来
Chaki Zuluは学生時代、使っていたウッドベースが“Chaki(チャキ)”というメーカーの物だったことから、チャキというあだ名で呼ばれていました。
高校時代に地元でロカビリーバンドを組んでいて、ウッドベースを担当していました。
では、ズールーの由来は何でしょうか。
南アフリカ共和国の東部に、“ズールー族”という部族がいます。その部族の初代の酋長が“シャカ・ズールー”という名前の人物でした。ズールー・ネイションの流れでシャカ・ズールーのことを知っていたアメリカ人の友人が、「チャキとシャカの発音が似ている」という理由からふざけてチャキ・ズールーと呼び出しました。それをそのままアーティスト名として使いました。
“ズールー・ネイション”とはヒップホップの開祖の一人である“アフリカ・バンバータ”が1973年に結成した伝説的クルー。
プロデューサータグ
『Husky Studio』や「You’re now connected to Chaki Zulu」という特徴的な“プロデューサータグ”で知られるChaki Zulu。
プロデューサータグ=曲の冒頭に入れる「この曲を作ったのはわたしです」と示す決まった音声のこと。他にも「ネームタグ」「シグニチャーサウンド」「サウンドロゴ」などと色々な呼び方があります。
ヒップホップ好きなら何度も聞いたことがありますよね。
「You’re now connected to Chaki Zulu」は、「あなたは今Chaki Zulu(の音楽)と繋がっていますよ」的な意味でしょうか。
「Husky Studio」はChaki Zuluが運営しているプライベートスタジオの名前です。
睡眠と犬の散歩以外のほぼ全て時間をこのスタジオでの制作作業に当てているようで、1日14〜15時間に及ぶこともザラにあるそうです。
ちなみに「Husky Studio」の声はAwichの娘であるトヨミさんのものです。
これまでの経歴
〜高校卒業 | 静岡県沼津市に生まれ高校卒業まで 地元で暮らす。 |
アメリカに単身渡米。 諸事情の為すぐに帰国。 | |
20代前半 | 2005年にエレクトロニックデュオ “THE LOWBROWS”を結成。 他に仕事をしながらのアーティスト活動。 |
〜 | 原宿のセレクトショップ「カンナビス」 や「DMM.com」などで勤務。 |
2008年頃 | 「DMM.com」を退社し、 アーティスト活動に専念。 グループ活動と並行して、 山下智久やMIYAVIらの楽曲をプロデュース。 |
2014年 | THE LOWBROWSでの活動を休止。 |
2015年〜現在 | YENTOWN結成。 音楽プロデューサーとして数々のラッパーや アーティストをプロデュース。 |
THE LOWBROWSでの活動
Chaki Zuluは元々ヒップホップを専門として活動してきた人ではありません。
学生時代から日米のヒップホップを追って聞いてはいました。
ウッドベースやギターを演奏していた学生時代のバンド活動を経て、2005年にバイオリニストの“Emi”とのエレクトロニック・ミュージック・デュオ“THE LOWBROWS(ロウブロウズ)”を結成。
メジャーレーベル「BMG JAPAN」から作品をリリースしつつ、「SUMMER SONIC」や「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」などの大型フェスにも参加。
多い年には年間100本近くのDJプレイをこなすなど精力的に活動していました。
YENTOWN結成
Chaki Zuluがヒップホップに関わり始めたのは、2015年。YENTOWNの結成によってでした。
YENTOWNとは、ラッパー、DJ、VJ、映像ディレクター、モデルなど様々な分野のクリエイターが集まったクルーです。(現在は、主にラッパーとDJを主体とするヒップホップクルーとなっています。)
初期の中心メンバーは、クラブで出会って意気投合した、Chaki Zulu、PETS、JNKMNの3人。JNKMNから「ヒップホップを作ってください」と言われたのがキッカケでした。
その後、メンバーの作品のプロデュースを手がけるなかで、ヒップホップ・プロデューサーとしての評価を高めていきます。クルー以外の多くのラッパーのプロデュースにも携わり、数々のヒット曲を産み出しました。
そして現在のTOPヒップホッププロデューサーとしての地位を確立しました。
制作スタイル
Chaki Zuluの制作スタイルは、オーダーを受けてから1からオーダーメイドで制作するというものです。
基本的にビートのストックはあまり持っていないようです。
制作環境としては、DTM(デスクトップミュージック)ソフトの“CUBASE(キューベース)”での制作を基本としています。
サンプリングはあまり使わず、1からビートをつくるケースがほとんどだそうです。
「そのアーティストがどんな音にのったらカッコよく聞こえるだろうか」「この人にはどんな音が合うだろうか」とイメージして、何をどうしたらそのイメージした音に近づくかと探りながらビートを制作するそうです。
自身のビートメイカーとしての資質を、“どんな音がそのアーティストにマッチするかを探す能力に長けている。服のスタイリストとかに近い資質”と分析しています。
必ず直接アーティスト本人と会ってコミュニケーションを取りながら制作していくということを大切にしていて、 話し合いの中で本人の意向も聞きつつ制作を進めていきます。
また、ラップの仕方や歌いかた、詞に関してまでディレクションするというのも特徴です。
最初に提示したビートはあくまでも基盤でしかなく、アーティストのラップの仕方や歌い方を受けて、「それならビートはこう変えるわ」などとコミュニケーションを取りながら作りあげていくという事を大切にしています。
Awichとの制作時にはインタビュアーのように「この時どういう気持ちだった?」などと対話しながら作詞を進め、そこから出てきた詞に対しても、細かい「てにをは」や「語呂の聴きごこちの良さ」まで細かくディレクションすることが多いそうです。
代表曲・人気曲
近年最大のヒットメイカーでもあるChaki Zuluの楽曲は、壮大なもの〜シンプルもの、ドープなもの〜キャッチーなものと、非常に幅広い楽曲があります。
ここでは、その中から何曲か代表的な楽曲を紹介していきます。
YENTOWN - 不幸中の幸い feat. kZm, PETZ, JNKMN, Awich, MonyHorse & U-Lee
YENTOWN名義での記念すべき初の楽曲。メンバー同⼠での制作や活動は活発に⾏われているものの、クルーとしての活動はこれまで稀なことでした。Chakiの声がけでみんなが集まって制作されたという本曲。
メンバーそれぞれがソロとして力をつけ、それが一気に結集したクルーとしてのパワー。
これからのYENTOWNとしての活動が楽しみですね。
Awich - GILA GILA feat. JP THE WAVY, YZERR
数あるAwichの人気曲の中でも、ライブでもっとも盛り上がる代表曲。
荘厳な雰囲気の曲の入りが印象的なビート。
世界的なヒップホップスターへと駆け上がっているAwichのこれからの活動も、Chaki Zuluと共に進んでいくのでしょう。
kZm - DOSHABURI feat. JUMADIBA
ジャージードリルスタイルのビートが印象的な、kZmの代表曲。
ビートの上での軽快なリズムでラップする2人が光ります。
kZm - TEENAGE VIBE feat. Tohji
Chaki Zuluの作る音楽のレンジの広さが際立った大ヒット曲。
Bloc Partyの「Helicopter」という楽曲に一部アレンジを加えてサンプリングしたロックチューン。
ドープな曲からこういった抜群にキャッチーな曲まで作るChakiの凄さが表れていますね。
ABEMAプレミアムでは、AwichやKEIJU、BADHOP、GADOROなど多くの人気ラッパーのLIVEが見放題です。 ぜひチェックしてみて下さい。
まとめ
この記事ではプロデューサーChaki Zuluについて紹介してきました。
今後も日本のヒップホップシーンに欠かせない人物として活躍していくのでしょう。
他にもプロデューサー/ビートメイカーについてまとめて紹介しているので、ぜひチェックしてみて下さい!