さいたまスーパーアリーナ公演で“All My Homies ”の歌詞を変えて「今度ライブあっから来い 東京ドームやっからよ!」と宣言した“ZORN”。
自分は15年以上ZORNを見続けてきましたが、まさかここまでの大人気ラッパーになるとは想像だにしていませんでした。決して順風満帆のキャリアだった訳ではなかったからです。
ZORNのキャリアをまとめたものを見ると「“My life”がヒットしてからは順調にここまで来た」というニュアンスで書かれたものが多いのですが、“My life”のヒット以降も客が数十人しかいない小さなクラブで普通にLIVEをしていました。
この記事ではここ数年でZORNのファンになった方に向けて、東京ドーム公演(まだ未定ですが)に至るまでのキャリアを「転機となったターニングポイント」と「おすすめアルバム」を中心にコンパクトにまとめて解説したいと思います。
調べても出てこない、当時現場で実際に見た光景などの情報も盛り込んでいきますので、最後まで読んでもらえたら嬉しいです。
ZORNのプロフィール
アーティスト名 | ZORN |
本名 | 杉山 雄基 |
出身地 | 東京都葛飾区新小岩 |
生年月日(年齢) | 1989年2月16日生まれ(35歳) |
所属レーベル | All My Homies |
ZORNは中3の時に、THA BLUE HERBやキングギドラ、雷家族などを聞いた影響でラップを始めました。
そこから数えると、これまでのラッパーとしてのキャリアは20年以上になります。
20年のキャリアを一つの記事で語るとなると大長編になりますので、ZORNのキャリアを大きく3つの時期に分け、ターニングポイントとなった出来事を中心に解説したいと思います。
ZORN THE DARKNESS期(2004年〜2014年)
アルバム | リリース年 | 作品名 |
---|---|---|
1st | 2009年 | 心象スケッチ |
2nd | 2010年 | THE N.E.X.T. |
ミニアルバム | 2011年 | ロンリー論理 |
3rd | 2012年 | DARKSIDE |
MIX CD | 2013年 | CREATION - Mixed By DJ TATSUKI |
みなさんご存知のように、ZORNはキャリアの初期“ZORN THE DARKNESS(ゾーンザダークネス)”と名乗っていました。
初めてZORN THE DARKNESS(長いので以後ZORNに統一)の名前を聞いたのは、今は休止中の「BBOY PARK 2009-UNDER 20 MC BATTLE-」だったと思います。
「THE 罵倒」3連覇(2009年〜2011年)などMCバトルで注目された時期ですね。
MCバトルは「名前を売る手段」と割り切って出場していたとのことです。「THE 罵倒2011」を最後の出場とし、以降は楽曲制作に打ち込んでいきました。
この時期のZORNを象徴する1曲を選ぶなら、やはり初期の代表曲“奮エテ眠レ”(2010年)でしょう。
今とは発声の仕方がまるで違った“ハイトーン”な声と、非常にシリアスで内省的な内容。この時期のZORNを象徴するような1曲です。
“ポエトリーリーディング”の影響も感じさせるフロウも特徴的ですね。
固いライミングとその分量は当時からもの凄かったのですが、今よりももっと言葉数の多さでリスナーを圧倒してなぎ倒すようなスタイルでした。
この時期のZORNの楽曲は聞いていると胃がキリキリとするような“焦燥感”にあふれていて、好きなのに聞くのが辛かったのを覚えています。
おすすめアルバムを1枚選ぶとすると、この“奮エテ眠レ”が収録されている2ndアルバム「THE N.E.X.T.」を選びたいのですが、今はもの凄いプレ値が付いてるんですね……
手に入れやすいものから選ぶなら、3rdアルバム「DARK SIDE」(2012年)でしょうか。
初期の頃より攻撃性が弱まり、声の出しかたとフロウが肩から力が抜けた自然なスタイルになり聞きやすくなっています。
それに対し、詰めこみに詰めこめまくった“言葉数”と“ライミング”は過剰とも言えるほどのもので、この時期のスタイルの到達点といった作品です。
タイトル曲にもなった“Dark Side / feat. 漢 a.k.a GAMI”を聴けばどういうことか一発で伝わると思います。
3rdアルバムを出した時点ではおそらくヘッズ全員から認知はされていましたが、LIVEで出てきてもみんなが湧くということも無かったと記憶しています。
そしてそんなZORNが転機をむかえます。般若が主催する「昭和レコード」への加入です。
昭和レコード前期(2014〜2017)
アルバム | リリース年 | 作品名 |
---|---|---|
4th | 2014年 | サードチルドレン |
5th | 2015年 | The Downtown |
6th | 2016年 | 生活日和 |
ミニアルバム | 2017年 | なにか+1 |
7th | 2017年 | 柴又日記 |
MIX CD | 2017年 | Anthology |
↑8thアルバム「LOVE」(2019年)も昭和レコードから出していますが、あえて外しておきます(理由はのちほど)
2014年1月に行われた“般若”のワンマンLIVEのMC中に、般若、SHINGO★西成に次ぐ「第三の男」として「昭和レコード」への加入が発表されました。
現場で発表の瞬間に立ち合いましたが、周囲の反応としては「へーそうなんだ。」と軽く湧いた程度で、。歓喜している自分との温度差があったのを覚えています。
レーベル加入とともにアーティスト名を現在の“ZORN”に改名。
この般若を中心とするスタッフを含めたメンバーとの出会いが、ZORNのひとつ目の大きなターニングポイントとなりました。
般若が“エグゼクティブプロデューサー”をつとめた4thアルバム「サードチルドレン」をリリース。
名前を改名したことからもZORNの意思が感じとれますが、これまでの作品に比べてビートを含めた“音楽性”も、リリックやトピックなどの“内容”も格段に聞きやすいものになりました。
般若から“引き算してシンプルにしていく”というアドバイスを受けたことで、現在に続くスタイルの基礎がここで出来たのだと思います。
結婚など私生活での大きな変化があったことも、作品づくりに大きな影響を与えました。
ZORN本人も「ヒップホップヘッズ以外の一般のリスナーに届けるということ」を強く意識したと語っています。
そして名曲“My life”の誕生。
クラブには仕事でしか行かずに酒も飲まない、早寝早起きをし週6で現場で働く、家族中心の生活でたまに遊ぶのも地元の仲間たちだけ。
自分を飾らず等身大の“リアル”を歌う。このスタイルがリスナーに深く刺さりヒットしました。
といっても現在2000万回以上再生されているこのMVも、100万回を超えるのに数年を要しました。当時と今とではマーケットの規模がまるで違ったからです。
この時期のおすすめアルバムを選ぶなら、“My life”が収録されている5thアルバム「THE DOWNTOWN」になるでしょう。
“葛飾ラップソディー”など地元の穏やかな側面を語った曲だけでなく、“Reverse ”などZORN THE DARKNESS期のヒリヒリとするような攻撃的な曲も入ったバランスが取れた作品です。
そして迎えた2016年12月に渋谷WWW Xにて行われたワンマンLIVE。
現場で目撃した最後のMCから“My life”→“Letter”の感動的なシーンは今でも忘れることが出来ません。
MCのなかでこのLIVEで初めて母親、奥さん、娘さん2人みんなを招待したこと。家族への思いを語った後のラスト2曲の流れでした。
その後6thアルバム「生活日和」、7thアルバム「柴又日記」と“My life”路線に舵をきった作品をつづけてリリース。
ただこの2枚のアルバムは、自分の周囲も含め昔からZORNが好きな人間は「このままこの路線で行っちゃうの?」との危惧もあったと記憶しています。
自身の作品のスタイルを変化させていった一方で、この時期のZORNのもうひとつの重要なトピックといえば他のfeaturing勢を食いまくった客演曲の数々です。
そこでは自身の作品とは違うイケイケなスタイルでかましまくってシーンを沸かしていました。
この時期のZORNはこれらの客演曲でヘッズたちの“プロップス”を上げていくことで、自身のLIVEでの観客の反応もどんどん好意的なものに変化していったのを覚えています。
昭和レコード後期〜現在(2018〜2024)
アルバム | リリース年 | 作品名 |
---|---|---|
8th | 2019 | LOVE |
9th | 2020 | 新小岩 |
ミニアルバム | 2021 | 925 |
セルフカバーアルバム | 2022 | Tuxedo |
10th | 2022 | RAP |
ここ2、3年の出来事に関しては、みなさんご存知だと思うので触れません。今の大ブレイクのきっかけとなったポイントに絞って解説します。
“昭和レコードに加入し自身のスタイルを変化させたこと”が一つ目のターニングポイントだとするなら、二つ目のターニングポイントは“AKLOとBACHLOGIC”との出会いです。
昭和レコード加入後、ZORNは徐々に自分自身でプロデュースをするようになり、自分が一緒にやりたいアーテイストとコラボするようになっていきました。
なかでも転機となったのが、ラッパー“AKLO”との活動です。
2017年NORIKIYO主催のライブで初めて会ったZORNとAKLOは、2018年にAKLO側からの客演依頼をきっかけに活動を共にするようになりました。
この2曲をリリース後、2018年7月から全国6か所を巡るツーマンライブツアー『A to Z Tour 2018』を実施。
盛況に終わった各地の観客の反応と、長い時間を共にし2人が意気投合したことで、同年に更に全国5か所を巡る追加公演を実施。
人気の高まりと共に、東京公演の会場も1度目の「リキッドルーム」から追加公演では「新木場STUDIO COAST」へと倍以上のキャパを埋めました。
AKLOは2012年リリースの1stアルバムから“日本語ラップの最高到達点”と絶賛され、圧倒的なラップスキルとUS現行シーン最先端の音楽を追求してきたラッパーです。
そんなAKLOとZORNは互いに刺激と影響を与えあう関係となり、ラッパーとしてさらなる成長を遂げていきました。
そしてこのAKLOとの活動とともに大きかったのが、“FUEGO”や“Count On Me”をプロデュースした、プロデューサー/ビートメイカーである“BACHLOGIC”との出会いです。
BACHLOGICは2010年代の日本のヒップホップ界における最重要プロデューサーであり、AKLOやSALUなどのプロデュースをはじめ数多くのヒット曲にたずさわった人物です。
ここで制作を共にした縁で、続く2019年リリースの8thアルバム「LOVE」では、BACHLOGICが“All My Homies”と“Muse”の2曲をプロデュース。
この“All My Homies”がZORNのキャリアを決定づけた1曲となりました。
これまでもZORNは地元のことを歌ってきましたが、直近2枚のアルバム「生活日和」や「柴又日記」では主に“いなたくも温かみのある場所”としての側面を切り取ってきました。
一方この曲では、そんな場所で共に育った地元の仲間のことを全面に出して歌い支持を得たことが、次のアルバム「新小岩」へ向けた“布石”となりました。
この曲で“ストリートからのプロップス”を得ることに成功したZORNは、「新小岩」でそれを全面展開します。
そんななか、2019年7月には「昭和レコード」から抜け自身が主宰するレーベル「「All My Homies」を設立し独立。
「昭和レコード」とは不和で離れたのではなく、30歳を迎え自分の力で進んで行きたくなったこと、地元の仲間と何かをやりたくなったとの理由でした。“Don't Look Back”のリリックで感謝の気持ちを歌っていますよね。
そして、2020年にBACHLOGICに全面プロデュースを託した9thアルバム「新小岩」を発表。
言わずもがなZORNの最高傑作にして、現在の人気を決定づけた大ヒットアルバムです。
相性抜群のBACHLOGICのビート、脂の乗り切ったラップスキル、自身の集大成のような練度でつづられたリリックの内容。超豪華かつヘッズが歓喜した客演陣。
あらゆるチャートで上位を独占したこの作品によって現在のZORNが確立しました。
そして2021年1月24日に行われた、「日本武道館」でのワンマンライブ。裏でかち合って大丈夫なのかとヒヤヒヤするようなゲストラッパー達が、ZORNへのリスペクトのもと勢揃いしました。
続けて「横浜アリーナ」「さいたまスーパーアリーナ」と会場の規模を拡大してのライブの成功。
あと残すは東京ドーム公演のみです。
まとめ
この記事では、ZORNの20年にも及ぶキャリアについて解説しました。
本当に大事なポイントに絞りに絞って語ったのでかなりザックリとした内容にはなりましたが、押さえておいて欲しいポイントと当時の状況は伝えられたのではないかと思います。
サブスクをやらないという独自のスタンスをとっているZORN。人気曲単体で聴くのもいいのですが、ぜひアルバムという一枚の作品として通して聴いて欲しいですね。
厳選して選ぶなら、5thアルバム「The Downtown」と9thアルバム「新小岩」の2枚はマストで、あとは“ZORN THE DARKNESS”時代のものも聴いてもらえると立体的にZORNのことが見えてくると思います。
思い入れが強いぶん自分語りが多く読みにくい記事になってしまいましたが、ZORNへの理解が深まってくれたのなら嬉しいです。
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