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ラッパーSKRYUとは?プロフィールや経歴、バトル戦歴や人気曲まで徹底解説!

ダンサブルなサウンドと、ユーモアあふれるリリックが人気のラッパーSKRYU(スクリュー)

さわやかさと変態性が同居するその個性は、まさに唯一無二。

ライブもMCバトルもとにかく楽しそうにする彼の魅力にハマる人が増えつづけ、ワンマンライブはいつも早々にソールドアウトしてしまいます。

この記事では、そんなラッパーSKRYUのプロフィールや詳しい経歴、MCバトルの戦歴や人気曲まで徹底解説します

2025年には「幕張メッセ」での大規模なライブの開催も決まっているSKRYU。

そんなSKRYUについて深く知りたい方はぜひチェックしてみてください!

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SKRYUとは?

アーティスト名(読み方)SKRYU(スクリュー)
本名植田敬助(ウエダケイスケ)
年齢(生年月日)28歳(1996年生9月3日生)
身長177cm
出身地島根県安来市
最終学歴愛媛大学卒業
所属レーベル -
SKRYUのプロフィール

SKRYU(スクリュー)は1996年生まれ島根県安来市出身のラッパーです。

愛媛大学時代にたまたまサイファーと出会ったことからラップを始め、大学卒業後に1年銀行で働いたのちに上京。本格的に活動を開始しました。

「戦極MCBATTLE 第23章」優勝など数々のMCバトルで結果を残しつつ、音源の方でも1st EPからチャートインするなど好調なスタートを切ります。

2023年にリリースした「超Sper Star」、「How Many Boogie」が立て続けにバイラルヒットし、人気が急上昇。

初のワンマンライブを成功させると、その後どんどん規模を拡大させ、2025年にはヒップホップアーティスト史上初めてとなる「幕張メッセ国際展示場4・5ホール」での大規模なライブが予定されています。

名前の由来

SKRYUというアーティスト名は、高校、大学時代に仲がよかった友達5人組の頭文字をとって付けられました

船などに付いているスクリュー(screw)とはスペルが違います。

うねって、ひょろひょろしてる自分に合ってて良いなと思ったそうです。

出身地

SKRYUが生まれ育った島根県安来市は、人が少なく、家の周りは見渡すかぎり畑と田んぼが広がっているような自然豊かな地域です。

家のすぐ近所に飯梨川があり、子どもの頃は橋から川に飛びこんだりして遊んでいたそうです。

家族構成

大家族で育ったSKRYU。

SKRYUは4人兄弟の長男で、2歳下の弟、4歳下の妹、12歳下の妹がいます。

兄弟4人に父、母、祖母、叔父2人とも一緒に暮らしていたので、家はいつも賑やかだったそうです。

「日比谷公園大音楽堂」のステージに立った、SKRYUとそっくりなお父さんはファンの間では有名ですね。

性格

生来の“目立ちたがり屋”だと自称するSKRYU。

学生時代は生徒会長をやったり、文化祭のステージに立ちつづけて出し物を披露するような生徒でした。

お調子者でありながら堅実で計画的な一面もあり、大学に推薦入学するために宅建の資格を取ったり銀行で働きながらラッパーを目指したり、不動産事務の就職先を決めて上京したりと、音楽だけで生活できるまでサラリーマンとして働きました。

一方、縛りがなくなると怠けるクセもあり、音楽一本になってからは昼間から酒浸りになり、制作もせずに堕落した日々を送った過去もありました。

音楽性

SKRYUの楽曲は親しみやすくノリの良いダンサブルなサウンドと、ユーモアあふれるリリックが特徴です。

SKRYUが楽曲を作るうえで1番大切にしてるのは「親近感を持ってもらいたい」ということ。

  • みんなが共感できる取るに足らない「あるあるだよね」と思うようなことを、どうカッコ良くラップするか
  • ミニマムな世界観をどうカッコ良く見せるか

こういったポイントを意識して楽曲を制作しているそうです。

キャッチーなメロディラインがあって、聴いてて楽しく踊れる音楽。

ライブも最高に盛り上がるSKRYUらしい音楽ですね。

ライブは「お前と俺どっちが楽しめるんだ」というスタンスで挑んでいるそうです。

MCバトル戦歴

大会名成績
戦極MCBATTLE 第23章優勝
凱旋MC battle 西日本ZEPP TOUR 福岡優勝
戦極MCBATTLE第28章ベスト4
口喧嘩祭special優勝
BATTLE SUMMIT IIベスト4
SKRYUの主なMCバトルの戦績

SKRYUといえば、楽曲だけでなくMCバトルのシーンでも大人気のラッパーです。

これまでに数々の大きな大会で結果を残してきました。

楽しそうにバトルをする姿で観衆を魅了するエンターテイナーで、下ネタ混じりのユーモアセンスもさることながら、巧みなライミングなど多彩なスキルも光ります。

また、SKRYUといえば自分の曲のフレーズをバトルでサンプリングして使うことも特徴です。

これは「楽曲のプロモーションをバトルを使って行う」ことを意識して意図的に行っています。

楽曲が好きな層とMCバトルが好きな層が分かれる傾向がありますが、その両者をつなぐパイプ役になれるMCになりたいという思いもあるそうです。

最近はライブや音源制作に集中するためMCバトルに出場することが少なくなりましたが、ひさびさに出場した「BATTLE SUMMIT II」ではMVP級の活躍をして、大観衆を大いに盛りあげました。

SKRYUの経歴

SKRYUの略歴は以下のようなものです。

少年時代島根県安来市にて生まれ育つ。
市内の小中学校に進学、卒業。
高校時代松江工業高校に進学。ラップに出会う。
大学時代愛媛大学に進学。大街道サイファーに出会いラップを始める。
「UMB2018」愛媛代表として本戦に参加するも、1回戦で敗退。
2019年銀行に就職。仕事しながらの音楽活動。
「戦極令和一番杯」優勝。1年で銀行を退職。
2020年千葉に移住し、本格的に音楽活動を開始。1st EPリリース。
「UMB2020 GRAND CHAMPIONSHIP」でベスト4入り。
2021年「戦極MCBATTLE 第23章」優勝。
「凱旋MC battle 福岡ノ陣」優勝。
1st ミニアルバム「OUT OF MEMORY」リリース。
2022年「口喧嘩祭special」優勝。
2023年1st アルバム「Transform -Charcoal side-」リリース。
初のワンマンライブを「代官山UNIT」にて開催。
2024年「日比谷公園大音楽堂」でのワンマンライブ開催。
「全国10か所でのライブツアー」敢行。
2025年「幕張メッセ国際展示場」でのワンマンライブ開催。
SKRYUの略歴

少年時代

子供のころからお調子者の目立ちたがり屋だったSKRYU。

高いところから飛び降りたり、うんていの上でスキップしたり、のぼり棒の上に立ったりと、危険な遊びをして親をヒヤヒヤさせることが多い子どもでした。

小学、中学とバスケに打ち込み、高校もバスケで決めるスポーツ少年でもありました。

小中のころは「俺は1軍にいる」と思っていたそうです。

高校時代

高校は過去に全国優勝したこともある、バスケの名門校・松江工業高校に進学。

新入生に県内中のスタープレイヤーが集まった学年で、そのレベルの高さに圧倒され半年で退部という挫折を経験しました。

力を注ぎ込んできたバスケを辞め生まれた喪失感を埋めるように、今度は宅建(宅地建物取引士)の資格の取得にチャレンジし、みごと高2の時に島根県内唯一の高校生での合格者となりました。

学校に大学の推薦枠があることを聞いて、「目に留まる資格を取っちゃおう」という狙いもありました。

友人たちの「文化祭を土日開催にして隣の女子高の生徒を呼べるようにしたい」という願いを叶えるために生徒会長になるなど、目立ちたがり屋な性格は高校でも変わりませんでした。

その土日開催を実現させた文化祭でも、催し物の8割に自分が出たそうです。

ラップとの出会い

ラップとの出会いも高校時代で、友人から「高校生ラップ選手権」の動画を見せられたのがきっかけでした。

それが2013年開催の「第4回高校生ラップ選手権」準決勝の“T-Pablow vs かしわ”の一戦。

T-Pablowの「飽きちまったよ大阪の即興 俺の方が似合う王様の称号」というラインを聞いて、思わずイヤホンをぶん投げてしまうくらいの衝撃を受けました。

それ以降遊びでフリースタイルラップをするようになり、教室で休み時間にみんなの前で披露したり、文化祭でもラップをしたそうです。

大街道サイファー

高校卒業後は地元を離れ、愛媛大学に進学。

推薦入試の面接では、狙いどおり宅建の資格を持っていることが決め手になりました。

ラップを本格的に始めたきっかけは、大学2年の時の偶然の出会いでした。

バイト帰りに大街道(愛媛県松山市の歓楽街)を通っていると、スピーカーを囲みフリースタイルラップをする集団に会いました。

大街道商店街

それが「大街道サイファー」でした。

興味があってしばらく見ていたところ、サイファーを仕切っていたDisry(ディスリー)が声をかけてくれ参加することに。

Disry=当時の愛媛を代表していたラッパー。現在は唾奇やMuKuRoらに誘われ沖縄に移住し、精力的に活動しています。

この大街道サイファーがSKRYUのラッパーとしてのキャリアの原点になりました。

サイファーに参加してから1ヶ月後には「UMB 2016 愛媛予選」に当日飛び入り参加し、初バトルを経験。

結果1回戦で負けてしまいましたが、ラップにどんどんのめり込んでいくようになります。

師匠となったDisryの勧めでフリースタイルだけでなく音源制作も始め、瀬戸内を中心にさまざまな街へライブに遠征する大学生活を過ごしました。

「ラップで生きていく」ことを考え始めたSKRYUは、大学最後の年にはバイトも全部辞めて借金して生活するように。

消費者金融から限度額まで借りていましたが、借金をしても作品をつくって稼げるという甘い考えをもっていたそうです。

UMB2018愛媛代表になる

大学4年の年に行われた「UMB2018」の愛媛予選。

順調に勝ちすすんだSKRYUは、決勝で師匠であるDisryと当たりました。

Disryは「UMB2016、2017」愛媛代表に選ばれていて、3連覇をかけてのSKRYUとの対戦となりました。

この熱い師弟対決で、SKRYUはみごと勝利。「UMB2018」愛媛代表として本戦への出場権を得ました。

試合後、Disryから「お前に負けたんだったらよかった」と声をかけられたそうです。

そして挑んだ「UMB2018 GRAND CHAMPIONSHIP」では、1回戦で“MC☆ニガリa.k.a赤い稲妻”と当たり、延長までいきますが惜しくも敗退。

「ラップ一本での生活が現実的ではないと薄々気付いていた」というSKRYUは大学卒業後、内定していた地元の銀行に就職することにしました。

銀行に就職

SKRYUは島根県の「山陰合同銀行」で週5で働きつつ、土日にライブなどの活動をする生活を始めました。

就活の際、「土日必ず休める銀行ならラップをしながら働けるだろう」と思い選びました。

18時ごろまで仕事をした後、21時まで自動車免許の講習に通い、それから近所の飯梨川のほとりで2時か3時くらいまで歌詞を書くという1日のスケジュール。

毎日寝不足で銀行に行く、一番体力的に辛かった時期だったそうです。

転機は思っていたよりも早く来ました。

就職してわずか1カ月後に行われた、MCバトル「戦極令和杯」で優勝。

バトル後に行われた東京での初ライブも大盛り上がりで、ライブ後の物販では、1枚1000円のミックスCDが飛ぶように売れました。

バトル動画が上がると、SNSで「SKRYUっていうやばい奴がいる」と話題になり、一躍注目の存在になりました

この一連の出来事でSKRYUは「俺は東京でも通用するぞ」「これは過信じゃなくて自信、確信だ」という気持ちを抱き、これが後に仕事を辞めるきっかけになりました。

退職し千葉へ移住

東京で自信を得たSKRYUは本格的に音楽活動をすることを決め、銀行を1年で退職します。

時は2020年4月の新型コロナウイルス流行の真っただ中。

心配し止める仲間もいましたが、ラップで生きていく覚悟を示す意味もあって決断。

周囲には「上京する」と宣言し地元を離れましたが、初めて住む場所に選んだのは、東京ではなく千葉県千葉市でした

東京の周りの横浜、千葉、埼玉らへんは東京のすぐ近くだと思っていたそうです。

最寄り駅は「動物公園駅」という千葉都市モノレールの駅で、渋谷まで1時間半もかかる場所です。

この場所にしたもうひとつの理由は、就職先を決めていたからです。

宅建士の資格を生かして、建設会社の不動産事務として就職。家も社宅が用意されていました。

平日は不動産事務をしながら、土日は東京でライブをするような生活が始まりました。

好調なスタート

2020年4月に1st EP「CREEN SAVER」をリリースすると、いきなり「iTunes Store ヒップホップ/ラップ トップアルバム」チャート1位に。

12月に出した2nd EP「SHORT CUT」に収録された“Mountain View”が100万回再生を超えるヒットし、初期の代表曲となりました。

MCバトルの方でも、年末に行なわれた「UMB2020 GRAND CHAMPIONSHIP」でベスト4入り。

そして、2021年4月に開催された「戦極MCBATTLE 第23章」では、決勝で呂布カルマを破り優勝を果たします

公式より引用

リリースした作品はヒットし、バトル界でも人気ラッパーとなったSKRYU。

順風満帆なスタートを切りましたが、この後に思わぬ谷の時期を迎えることになります。

酒に溺れる日々

1st ミニアルバム「OUT OF MEMORY」を出した後、SKRYUは仕事を辞め東京に引っ越すことにしました

千葉から品川区にある大井町駅に引っ越し、ついに本当の上京を果たします。

老舗の飲食店が立ち並び、飲み歩きに適したこの街は、SKRYUにとって居心地のいいところでした。

SKRYUはこの時期、「ラップ1本の生活になったこと」「東京に住んだこと」で気が大きくなったと言います。

ラップだけで生活できているという見栄を張るために色んな人におごっているうちに、金欠で生活が成り立たなくなります。

6万9000円になった家賃も当時のSKRYUには高額だったそうです。

経済的な余裕のなさが精神面にも悪影響をおよぼし、いつしか昼間から酒に溺れるような毎日を過ごすようになりました

生活費を稼ぐために内緒でコールセンターのバイトにも行くようになったそうで、その当時の生活ぶりや気持ちが3rd EP「MUNASAWAGI」に詰まっています。

上京したてで狂ったテンポ 酒ばっか飲んでバリ貧乏 派遣のバイトで桜木町 通ってたの今も内緒

“京浜東北線”より引用

抜け出したきっかけ

何よりマズかったのが、まったく制作が進まなくなったことでした

もともと自分は怠惰な人間だというSKRYU。2年間会社員として働いていた縛りがなくなり、逆に楽曲制作もサボるようになりました

「いつでも曲が書ける」と思うと、かえって全く書く気が起きなくなったそうです。

その当時は3〜4カ月に1曲リリースするかしないかというペースで、深刻なスランプに陥りました。

そんな時、SKRYUのマズい状況を察知した、現・マネージャーが「一緒にやりましょう」と声をかけてくれました。

それがこのスランプを抜けだすキッカケとなりました

それまでのずっと1人で制作していた体制から、しだいに協力してくれる人が増え、SKRYUの音楽活動がチームとしての活動になっていきました

チームとして「なるべく月に1回のペースで新曲を出し続ける」ことを目標にすることで、劇的に調子が上向いていきました。

自分で自分を律せなかったので、律してくれる環境に身を置いたということですね。

飛躍した2023年〜現在

コンスタントにリリースすることが出来るようになったSKRYUは、2023年から怒涛の快進撃を見せることになります

2023年にリリースした“超 Super Star”、“How Many Boogie”がたて続けに大ヒット。

7月には初のフルアルバム「Transform -Charcoal side-」をリリース。

勢いにのるSKRYUは、2023年8月に初のワンマンライブを「代官山UNIT」(キャパ500人)にて開催しました。

発売開始後1時間でチケットは完売。人気の凄まじさを表す結果となりました。

これ以降つぎつぎと会場の規模を拡大してのワンマンライブを開催。

  • 2024年2月「Spotify O-EAST」(キャパ1300人)
  • 2024年7月「日比谷公園大音楽堂」(キャパ3000人)
  • 2024年11月〜「全国10か所でのライブツアー」(累計12,000人)

全てのライブをソールドアウトさせ、2025年9月にはヒップホップアーティスト史上初となる「幕張メッセ国際展示場4・5ホール」にてワンマンライブを行うことになりました。

人気曲・おすすめ曲

Fuma no KTR × SKRYU × WAZGOGG - How Many Boogie

SKRYU × WAZGOGG EP「わすれもの」収録曲。

思わず首を振ってしまう中毒性の高いビートがクセになる大ヒット曲。

SKRYUのユニークな歌詞や、独自の世界観が楽しいMVも見どころです。

超 Super Star

4th EP「東京ドギマギ」収録曲。

このメロウなダンサブル・チューンからSKRYUの快進撃が本格的に始まりました。

思わず踊りたくなるようなSKRYUらしい楽曲ですね。

SKRYU - ハイブランド(Remix) feat. サーヤ

5th アルバム「Element」収録曲。

ハイブランドを纏えるようになったものの、その心は昔と変わらないという楽曲。

軽快なビートにのせたSKRYUのラップも見事ですが、featringのサーヤに耳を奪われますね。

あいかわらず芸人の域を超えた圧倒的センスが光ってます。

Mountain View

2nd EP「SHORT CUT」収録曲。

SKRYUの最初のヒット曲で、これからスターの道へ駆け上がろうとする決意が爽やかに歌われています。

歌詞は実家に住んでいた時のもので、川のほとりで大自然を前にして書いたそうです。

まとめ

この記事では、ラッパーSKRYUについて紹介しました。

目指す“超 Super Star”になるべく、どんどんステージを大きくしていっているSKRYU。

どこまで上り詰めるのか楽しみですね!

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